つまみぐい人生100

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ドヤへ恩返し ―越冬ボランティア体験記―

思い出の町 寿町

 

※この記事は「ドヤ街の寿町へ『誕生日お祝いして!』」の後半と同じ内容です。

ネット検索でボランティアの体験記を探す方のために、その内容だけの記事を別に設けました。参加を検討されている方の参考になれば幸いです。

 

 

2018年の元旦、夜。

 

誕生日にお世話になった感謝の思いを胸に、寿町へ再訪。


その目的は、寿町越冬ボランティア。

 

知人から、特に申し込みはしなくても参加できると聞いた。

 

ゴミの山に懐かしさを覚えながら、ボランティア本部に電話をかけ、指示通り寿公園へやってきた。

 

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寿公園は、遊具がジャングルジムしかない小さな公園で、角には青いビニールシートに纏われた大型のテントが構えていた。

 

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「黙って野垂れ死ぬな 生きて奴らにやり返せ」


寿町を鼓舞する横断幕の言葉は、社会への怒りがにじみ出ていた。

 

 

 

テントの入り口に「本部」との文字を見つけ、中に入り受付をする。

テントといっても、ベニヤ板で壁が作られ、床は断熱材が敷かれているらしく、外観以上に立派だ。

靴を脱いでストーブの横に腰を下ろすと、灯油の匂いがした。

 

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年齢層は高めで若者らしい人は3人ほど。

リラックスした雰囲気で雑談をしている。

はじめての場で落ち着かない私は、無意識に正座をしていた。

 

 

参加予定の主なプログラムは、今晩のパトロールと、明日の炊き出し。

トロール前には集約会議という話し合いが行われていた。

昨日のパトロールや炊き出しでの人数報告や振り返りをして、情報を次に生かしているようだ。

 

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集約会議を終え、夜のパトロールまで時間ができた。

 

いったん外に出て本部の隣のテントに入ってみると、大きな鍋と白い湯気が目に入った。

 

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鍋の後ろにはカットされた大量の野菜が待機している。

ここは調理室のようだ。

 

 

今晩のパトロールで配る鯛のスープを作っているらしい。

インスタ映えするでしょ(笑)」

昔割烹で働いていたというおじちゃんは、スープをかき混ぜながら笑った。

 

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「少し飲むか?」

おじちゃんはスープを器に注いでくれた。

 

具は十分入っていたが、ニンジンは薄く小さく、鯛はバラバラにほぐれていて質素な印象は拭えない。

けれど、だしがよく効いていて身体が温まった。

 

耳を疑う

ひときわ目立つおばちゃんがいた。

白髪交じりの茶髪で、ラメが入ったロングネイルの先に煙草を挟む。

ガラガラ声で「~じゃねえかよ!」「おまえよぉ!」と放つ言葉はヤンキー並みに荒い。

この町に馴染みがあり、炊き出しの時期は顔を出しに来ているらしい。

 

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「これあたしの孫なの」


横にいる小学生くらいの小さな女の子を指さした。


孫がいる年齢には見えなかったので年齢を聞いてみると、52歳。

 

「あたし、一番上の長男産んだの15のときだから」

 

15!?

 

さらに聞くと驚かされた。


この町で出会ったという8歳上の男性と、いままで10人もの子どもを産んでいるという。

中卒で、主婦業に徹してきて、最後に産んだのは40歳。

25年間、単純計算で2~3年に一度、子どもを産んでいる。

 

「だから最後に産んだ息子と、一番上の孫が同級生なの」

 

ちょっと頭が混乱してしまった。そんなことがこのご時世ありえるのか。

 

後にボランティアの人から「この町は早婚多子が多い」と聞いたときは、大きくうなずいてしまった。

自分が暮らす地域とほど遠くないこの町が、地続きであることを疑いたくなった。

 

トロール

 

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夜9時になろうとする頃、徐々に公園の中心に人が集まってきた。

 

ボランティアの代表者が説明に入る。

 

「これからパトロールで回っていきますが、呼ばれて行くわけではありません。私たちの目的はたった1つ。『あなたは一人じゃないよ』というメッセージ、エールを贈りにいくということです」

 

トロールの声のかけてきちんと目線を合わせること、何よりモットーは対等ということを強調していた。

 

班は寿・関内班、横浜駅班、車移動の広域班の3編成。

私は寿・関内班を選んだ。

 

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配布物は、ビニール袋に入ったパン4つ、みかん1つ、カイロ2枚、そして『寿えっとうニュース』というお便りだ。

どんな人でも読めるよう細かくフリガナが振られている。

 各自、4人分のビニール袋とお便りをポケットに入れた。

 

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若い男性がスープの入った重い寸胴や毛布を乗せたリアカーを担当し、班のリーダーを筆頭に15名で移動を開始した。

 

 

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大型施設の周辺や公園を巡るも、思っていたより人がいない。

聞くと、年始は福袋の並び屋をするために移動していることが多いらしい。

 

 

 

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駅前の地下道の階段前で「ここは結構人いますから」とリーダーは呼びかけた。

 

 

 

 

 

階段をおりた先に広がった光景は、衝撃的で思わず息をのんだ。

 
3mくらいの幅の通路に、左右の壁に沿って段ボールの家がずらりと並んでいる。

完全に彼らのテリトリーと化していて、一人でいたら遠回りしたくなっただろう。

 

狼狽えている場合ではない。

ボランティアの人は各自散らばり、段ボールの寝床にいる一人ひとりに声をかけていった。 

私も見様見真似で行動に移った。

いつも一方的に目にしていただけだった路上に住む彼らに、声をかけるのは妙に緊張した。

 

「こんにちはー。あったかいスープを持ってきました。いかがでしょうか」

 

薄汚れた帽子を耳まで被ったおじちゃんは、段ボールからゆっくりと起き上がり、首を縦に動かした。

 

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リアカーの元へスープをもらい、おじさんに渡すと無言で受け取った。

あまり話したくないような様子だ。

 

 

次に声をかけたおじちゃんはハキハキと挨拶をしてくれた。

スープを渡すと「ありがたいよ、あったかいよ」とその表情は食のありがたみに満ちていた。

 

「ありがたいです。みなさんは昼間仕事して生活して。でも俺らは底辺。頑張って生きていくためにはこうやって人からのお助けを必要としてます」

 

60代でこの生活は1年ほど。

身体がまだ使えるのでたまに仕事があるが、生活はカツカツだという。

 

「1回底辺に落ちると上がれないですね」


口では笑っていたが目の奥に悲しみを感じ、なぜこのような生活になったかは聞けなかった。

 

 

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暴力団から逃げている」

公園の遊具の下に隠れるように寝ていたおじちゃんは、そう言った。

 

ただボランティアの人によるとその発言が本当かどうかは鵜呑みにできないという。

何かに追われていると言う人が多いらしい。

 

 

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横浜スタジアムには、建物に沿って奥まで点々と寝床を作っていた。

スタジアムの球体型のカーブが、寒風の勢いを強める。

 

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夜も遅くなり、寝ている人も増えてきた。

そういうときは、パンとみかんのビニール袋をそっと置いていく。

 

 

あるおじちゃんに話しかけると、病気のせいか何を言っているのか聞き取りにくい。


「……ウぁ、ないの、おぉ おトシダマ、クレないのっ」

 

……お年玉か!

 

「お年玉はないんですけど……、温かいスープいかがですか」

 

うなずいたので、スープを取りに行き、すぐに戻って差し出した。

だが「おトシダマじゃ   ナイ   ぃらナイ」と拒否されてしまった。

 

どうすることもできず、とても無力に思えた。

 

 

今回該当者はいなかったものの、希望があればその場で宿を案内するそうだ。それでも「ドヤ街なんていやだ」と拒否されることもあるらしい。

 

最後に手入れされたか見当もつかないほど髪や髭が伸びている人もいれば、路上生活者とは思えぬ清潔感がある人もいた。

 

 

約2時間かけてパトロールを終えて、希望者は公園のテントに戻った。

 

 

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余った鯛のスープを口にしながら、参加者の思いを聞いてみる。

ボランティアは半分以上が経験者で、大阪や沖縄から来ている人から「暇だったので」という軽い気持ちで参加した人もいた。

 

 

ボランティア歴32年という身なりのきれいな年配の男性は、自身の活動に自問自答していた。

 

「家に帰ればね、あったかい布団もあるし、テレビもある。だから俺のやっていることは偽善者なんじゃないかと悩んで、哲学の先生に相談に行ったことがあった。

 

そしたらその先生に『あなたの、同じ立場に立たないといけないんじゃないかという気持ちはよくわかる。でもそうなったら支援できないでしょ。自分の生活を守ってるからこそ支援できる』って言われて、納得してやっているんだけど。

 

それでも偽善じゃないのかなっていう疑問は残っていて、毎年参加している。きっと生涯続けることになるのかなと思います」

 

 

一方で、自信が寿に住んでいた経験があるせいか、支援に対して引っかかる思いがあるという男性も。

 

「ホームレスのために仕事して疲れるのはいいのよ。でも炊き出しで並んでいるほとんどは生活保護。炊き出しなんてもらわなくても食べられるお金もらってるのに、ギャンブル、お酒に使っているのよ。実際やりがいがないというかバカバカしいなと思うときもあるね。

 

でも仮に1000人並んだとして、本当のホームレスが30人くらいいるわけじゃん。その人たちのことだけ思ってやっている

 

支援の本質を問い続ける人もいれば、複雑な思いに整理をつけて活動をする人もいる。参加者の思いは想像以上に深かった。

 

就寝

 

夜もすっかり更け、0時を過ぎた。

 

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本部テントに用意してもらった布団にありついた。

受付時に、このテントに泊まることを提案され、お願いしていたのだ。

ありがたい。

 

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よく見ると、敷布団は厚手の毛布3枚と、掛布団は毛布4枚。

枕は二つに折った座布団で、テント内の物品でつくられた“布団のようなもの”だったた。

 

中に入ると古い汗の臭いがツンときた。

匂いがキツイ。寒い。しかもストーブは切ってある。

 

ベニヤ壁とブルーシートでできた壁は、寒風が入るのを容易に許した。

手の指先や足のつま先が冷え込んで、全身を使っても一向に温まらない。

 

でも、すぐそこには外気にさらされて地面の上で寝床につく人がいる。

そのことを思うと不満を口にする気が失せた。


越冬という言葉が痛いほどしっくりくる。

 


やっと寝付けたのは朝4時過ぎのことだった。

 

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炊き出し準備

 

誰かの話し声で目覚めた朝7時。


見回すと寝ているのは私だけで、気まずさから布団をはいだ。

眠いし寒い。とてもじゃないが身体を動かす気にはなれなかった。

 

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外に出ると、朝からせっせと冷たい水で調理器具を洗っている人がいた。

感心して気持ちを入れなおし指示を仰いだが、今はそんなに人手はいらないとのこと。

 

 

体力を温存させ、本格的に手伝いをはじめたのは9時。

ざっと40名程度いて、主婦らしい女性の参加者が多かった。

 

各々炊き出しの準備にとりかかった。

机を設営する人、まな板や箸、野菜を洗う人。

 

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机には熱いお湯が入ったバケツが設置された。

寒くなったら、手をそこに突っ込んで温めるという簡易湯たんぽのようだ。

 

 

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私は箸を揃えて数えたり、冷たい水で野菜を洗ったりした。

「今日はいつもより温かいのでまだマシですよ」

毎年参加しているという若い男性は手を真っ赤にしながら言った。

雪が降った年は特に寒さが酷かったらしい。

 

 

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野菜を洗い終えると今度はひたすらニンジンを切った。

切りにくい包丁で、主婦の手際の良さが際立った。

 

 

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作業がすべて終わったのは12時ごろ。


ボランティアが参加するのは野菜を切るまでで、味付けや鍋で煮る作業は調理場の炊き出し班によって行われるようだ。

 

寿町ガイド

 

炊き出しの配布まで時間が空いた。

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散歩していると、外観が素敵な理容院を見つけた。


「そこね、もうなくなっちゃたの」


垂れ目で笑顔がかわいらしいおじちゃんが横に来て教えてくれた。
福島県出身で東北なまりが言葉を柔らかくさせる。

 

「名前は?俺はアベだよ。よろしくな」


ぎゅっと握った手は、皮膚が分厚く力仕事をしている手だった。

 

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福島は給料が安いので横浜へ移住し、寿町にきて30年だという。

おじちゃんは辺りを指さしながら寿町をガイドしてくれた。

 

「俺は○○荘ところに住んでるから。ここから近所なんだよ?いつでもきてな」と自分の住んでいる家を何度かアピールしてきた。

 

ダメもとで「行ってみたい!」と言ってみたら、「いいよ」とすんなり応じてくれた。

 

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おじちゃんが住む○○荘までは1分もかからなかった。

 

 

便所サンダルを履いた足の後ろをついていき、二階へ上った。

 

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 キィーと重い扉を開くと、3畳の部屋は小さいながらも整理整頓がされ、清潔感があった。
敷かれた布団の上には可愛らしい子猫がいた。

 

「ミィちゃんっつうんだよ。夜は一緒にだっこして寝てんだ。かわいいだろ」

 

「みかんやるか」と手土産までもらってしまった。

 

さすがに部屋に入ることはしなかったが、アベさんは丁寧に玄関まで送ってくれた。

部屋は半分以上空室らしい。


「年取ってみんな死んだりしてね、いなくなっちまったよ。身体具合悪い人もいっぱいいるし」

 

「たまには顔見せてな」と最後まで優しかったアベさん。

これからも元気でいてほしいと思った。

 

寿町のリアル

寿町を一通り回り、公園へ戻ってきた。


調理室で雑炊の様子を見ながら、向かいに座ったボランティアのおじちゃんと自然と会話する流れになった。

 

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65歳を過ぎたおじちゃんは寿の元住人。

 

寿に来たのは2年前。

務めていた寮付きの建築会社で喧嘩沙汰になり、会社を飛び出してカプセルホテルへ生活するも、金が底をつき、寿の民泊へたどり着いた。

 

「前はね、一日いくらで人夫(力仕事の労働者)を使う側だったわけ。まさか自分が寿に来るとは思ってなかったよ。なかなか受け入れられなくて、しばらくは寝れずに夜中の2時過ぎまで横浜を歩き回ったりしてた」

 

少額の生活保護を受給しながら、仕事を再開した。

 

「全額で生活保護で暮らせたかもしれないけど、怠け者だってレッテルを張られたくなかった。自分の生き方として、少しでも稼いで、税金で食べないようにしよういう考えがあってなんでも仕事を受けた。でもね、履歴書に『寿町』って住所書いちゃうと『あぁもうろくでもないやつだな』って落っことされちゃう。寿町は人間的にだめなやつって烙印を押されてるから

 

部屋の掃除、建設現場、リフォームと仕事を3つ掛け持ち。

早朝から深夜まで仕事をする生活を続けていたある時、精神を壊してしまった。

その原因は、特殊清掃で遺体処理の仕事も少なくなかったからだと話す。

 

「知らない人ならまだいいわけよ。でも寿住んでいるとどんどん付き合いが広がっていって。借金生活してるタナカっつうヤツが、『俺死んじゃおうかなー』って言ってて。

冗談だと思って『死んじゃえ死んじゃえ』って言っちゃったの。『借金があっても働いていれば返せない訳じゃないじゃん。だからそれまで頑張れ』とも言って。

でも次の日の朝、部屋の中入ったら首つってた。その部屋をリフォームをしたりしてたわけよ」

 

年間7人の死体を処理し、気づくと寝られなくなり、体重はどんどん落ちていた。

精神科へ行くと、医者から就労禁止が言い渡された。


その後時間が経過して精神は回復したと訴えるも、一回かかってしまうと、ずっと精神病患者扱いされてしまう。

気持ちとしては働きたいが、やむ負えず生活保護を受給しているという。

 

生活保護といえば世間では不正受給の問題が目につくが、当人から聞くとショックを受けるほどリアルな事情があった。

 

 

 

 

生かす社会と生きる力

 

ボランティアの代表の方に話を聞くことができた。

 

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世間ではたびたび生活保護の是非や用途について問題視されるが、どのように考えているのだろうか。

 

「あくまでも僕の考え方ですが、就労は一番わかりやすい社会参加であり自己実現

けれど今の社会はいろんなことができないと雇ってもらえない。せめてコンビニくらいできるでしょって言われるけど、みんなができるわけじゃない。

時代とともに社会構造が変化して、「運ぶ」「作る」それだけじゃ済まなくなり、仕事から疎外されたんです。労働力不足といわれているなら、働ける条件をつくるべき。

業務分担してみんなが就労による社会参加ができるような社会にしていくべきなんですよ。それができないのであれば最低生活費を保証して、炊き出しやギャンブルも含めて人間らしい生活をやっていいと考えています」

 

なるほど、社会構造に合わせて人が変わるのではなく、本来なら社会がもっと人に合わせるべきという考えのようだ。

その偏りを生活保護で補てんしているということか。

このバランスのあり方は個人の見解が分かれるところと思われる。

 

ちなみに他の人からギャンブルに関して補足があった。

問題視されている割には寿に競艇舟券売り場が作られ、馬券が買える野毛は元寄せ場(日雇い労働求人を斡旋する場)だったという点。

言われてみればおびき寄せているともいえる。知らなかった。

 

逆に生活保護を受給できるのに高齢まで路上生活を貫く人もいるが、どのような事情なのだろうか。

 

「体力ぎりぎりの70歳まで路上生活を続けている人がいてね。『俺は終戦を小1で迎えて、横浜空襲で家もなくなるし食べるものもなかったけど、今は食べ物を拾えるからまだいいんだ!』って言ってて。

そう言い聞かせて頑張ってきたんでしょう。こういう何年声かけても生活保護を断る人は珍しくない。

『空き缶集めていると乞食って言われる恥もある、でも身体が動くのに生活保護を受ける恥もある。どっちがマシかっていったら、身体が動くうちは俺は空き缶集めるから。動かなくなったら頼むよ』ってことなんです」

 

空き缶集めは自力で生きるプライドを守る姿だったのだ。

 

カラオケ大会

 

昼過ぎからはカラオケ大会が開催された。


おじちゃんたちが毎年楽しみにしている人気のイベント。

公園の向かいにある福祉施設の4階が会場になっている。

 

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部屋には40名ほどの観客がぎっしり。私も椅子に腰かけ、観客の一人になった。

 

歌声を聞くと、誰もが驚くほど歌がうまい。ビブラートと声量の強弱が効いている。

そうか。歌は貧富の差がなく楽しめる、わけ隔てなく与えられた娯楽だからだ。

一人1曲歌いおわると、満足そうに参加賞のタオルとみかんを受け取っていた。

 

歌われる曲は1曲も漏れず昭和歌謡曲。

『東京みなと/森進一』
『新潟ブルース/美川憲一
『昭和最後の秋のこと/桂銀淑
『そんな夕子にほれました/増位山太志郎』

などなど。

 

私は馴染みがないせいで5曲目を過ぎたあたりで全部同じに聞こえてきてしまった。

 

だが周りをみると、故郷を偲ぶ歌や、好きだった女を想う歌に涙ぐむ人もいた。

 

一曲一曲をどんな思いで聞いているのだろう。

歌詞に注目するとおじちゃんたちの人生観を間接的に受け取った気がした。

 

炊き出し配布

 

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カラオケ会場の窓から外を覗くと、炊き出し開始の30分以上前から長蛇の列ができていた。

列は公園の端から角を曲がり、先が見えないほど伸びている。

 

私は公園へ戻り、炊き出しの手伝いをはじめた。

列の導線をイメージして、机を設置。

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箸、雑炊、ひじき、乾パンの缶という順に並んだ。


私はひじき担当になった。

 

小皿にでもよそうのかと思いきや「雑炊の上にのせてください」という指示だった。

皿の節約か。合理的だけどちょっとお粗末な気がして、少し抵抗があった。

 

配布時間までは準備が整っても開始はしない。

おじちゃんたちは列を崩さずひたすら待っていた。

 

ピシッとした空気が漂う中、待つのに耐えかねた赤いコート姿のおじちゃんが公園へ飛び出してきた。

「もういいだろォ!?配っちゃえよォ!」

すばやくボランティアの人が駆けつけ、冷静に対応していた。

 

16時。開始の合図がかかった。

 

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列は動き出し、おじちゃんたちは給食と同じ要領で箸、雑炊と受け取っていく。

 

 

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私はビニール手袋をはめた手でひじきをひとつかみし、お雑炊の上に手早く乗っけていく。

 

さっきの赤いコートのおじちゃんは、横入りをしようとしてボランティアの人に怒られていた。

周りのおじちゃんにも「並べよ!」と言われる始末。

こういう困った人はほんの一部だが、寿町の印象を作ってしまっているのが現実だ。

同情的な見方をしてしまった。

 

 

ひじきを入れるのも慣れてきたころ、見覚えがある人がいた。


小柄で白髪で目じりが下がったおじちゃん。

 

 

寿町を訪れた誕生日の夜に『貧乏暇なし』のメッセージを書いてくれたおじちゃんだ!

 

 

直接お礼が言いたい。

おじちゃんを見失う前に、早く言いたい。


はやる気持ちを抑えつつ、ひじきの仕事をこなす。

思っていたよりなかなか終わらない。

時計を確認することが増えていき、1時間が過ぎようとしたころやっと終わった。

 

すぐにおじちゃんを探した。あの時はありがとうって伝えたい。

 

特徴だった灰色のコートを探す。

似たような暗い色の上着ばかりで当てにならない。

走り回った。

 

見失ったかと諦めかけたとき、公園を出るあのおじちゃんがいた!

急いで駆け寄って声をかけた。 

 

「おじちゃん!私、去年の冬に会ってて。覚えてないですか?」
おじちゃんは、足も止めず目も合わせてくれない。

 

「あの、メッセージ書いてもらって、ありがとうございました!」

反応は変わらない。

 

なんだか悪い気がしてきた。

「突然変なこと言って、ごめんなさい」

 

去っていく背中の丸まったおじちゃんを見つめることしかできなかった。

 

今思えば寄せ書きの写真でも見せれば思い出してもらえたかもしれない。

頭が回らなかったことを後悔し、でもそんな隙も無かったようにも思えた。

 

何より普段はこんな風に人を避けたように生きていたこと思うと、あの日の思い出が余計儚く感じ、しばらく呆然としてしまった。

 

 

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誕生日の恩返しというにはまだ不十分かもしれないが、丸一日経ったので、ここでボランティアの参加を終えた。


「寿町」という街でくくられてしまう人々の、個々人の事情や考え方、人柄を間近で見ることができた。

 

 

 

――働くとは、お金とは、生きるとは何だろう。

 

 


年始で帰省先へ向かいながらぐるぐる考えを巡らせた。

 

 

 

帰省すると、私ももういい年なのに、祖母が嬉しそうに渡すお年玉を受け取ってしまった。

正月でゆっくり過ごし、お金ももらい、『貧乏暇なし』とは真逆の状況だ。

 

なんだかバツが悪いなぁ。でも、こういう恵まれた環境に感謝しなさいということなのかな。

 

せっかくもらったお年玉は世の不平等さを映し出すようだった。

 

 

 

ツマミ具依 (@tsumami_gui_) | Twitter